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埼玉医科大学雑誌 第28巻第1号 (2001年1月) 28-29頁  (C) 2001 The Medical Society of Saitama Medical School

特別講演

主催 埼玉医科大学第一生化学教室・後援 埼玉医科大学卒後教育委員会
平成12年10月30日 於 埼玉医科大学第四講堂

ストレス蛋白研究の現状と展望

田島 陽太郎

秋田大学医学部生化学第二講座


 酵母や大腸菌から哺乳動物細胞にいたるまで,死滅させる直前の高温など危険な環境に曝されるとおおかたの蛋白分子の生合成は抑制されるが,逆に生合成が著しく促進される一群の蛋白が存在する.この蛋白分子に対して「熱ショック蛋白 HSP」と命名され,1980 年代の遺伝子操作技術の進展に伴い,遺伝子の転写促進の機構解析のモデルとして精力的に研究され,核内の熱ショック転写因子 HSF が発見された.転写調節機構の研究が一切りになる頃から HSP 分子の機能解析が進み,HSP は合成途上の蛋白分子を生理的な立体構造に誘導する機能を持っていることが明らかにされた.この発見によって,蛋白分子の立体構造は一次構造によって自動的に決まるという Anfinsen の法則が否定され,同時に細胞内で非生理的な立体構造になった蛋白分子,すなわち変性した蛋白が HSP によって修復されることが明らかになった.この機能から熱ショック蛋白は分子シャペロン molecular chaperone と呼ばれるようになった.
  分子シャペロンはその分子量によって,HSP90(分子量 90,000),HSP70(分子量 70,000),HSP60(分子量 60,000)---などのように命名されている.
  1990 年代に入ると,HSP の分子シャペロンとしての機能発現の解析が急速に進み,例えば HSP60 や HSP70 は ATP のエネルギーを消費しつつ,変性した蛋白を正しい立体構造に折り畳み直すことが明らかにされた.一方,動物の心臓をごく短時間の虚血などで前処理すると心臓内に特定の HSP が増加し,同時に心臓は虚血に対しての抵抗性を獲得することが明らかにされた.
  各種 HSP を精製して作成した免疫抗体を用いつつ行ったわれわれの研究は臨床系研究者と共に,whole animal を用いた研究,培養細胞を用いた研究,分子レベルでの研究に分かれ進めている.ヒトゲノム解析完了を目前にして熱い視線を注がれているバイオ産業の近未来を考えてみるために,本日はあえて whole animal を用い消化器疾患モデルを用いた研究を中心に解説させて戴きます.
 A)セルレインという薬は血圧降下作用を持っているが,膵炎を起こすことで知られている.ラットにセルレイン注射すると膵臓が浮腫状に腫れ重量を増す.ラットに水浸ストレスを負荷すると HSP60 が増加し,熱ストレスを負荷すると HSP72 が増加するが,膵臓には変化がない.そこで,この2種のストレスを負荷し,ラット膵臓内にそれぞれ HSP60 と HSP72 を増量させてから,セルレインを注射して膵炎の発生を観察した.HSP60 を増加させておいた系で膵炎発生が著しく抑制された.HSP72 の前誘導ではこの抑制効果は認められなかった.HSP60 が実験膵炎の発症を抑制する.
 B)ラットの胃の場合は水浸ストレスで著明な粘膜出血を起こす.この一連の研究で,TRHがHSP72 を,5-HT が HSP60 を増加させることが明らかになった.そこで HSP60 と HSP72 の前誘導が 0.6N HCl による実験胃潰瘍を防御できるかどうかを観察した. TRH による HSP72 の前誘導が実験潰瘍の発生を著明に防御すること,5-HT による HSP60 の前誘導は防御しないことが明らかになった.
  広く用いられてきた臨床薬の胃粘膜出血と,亜鉛製剤の胃粘膜保護作用の関係を観察した.
  アスピリンの慢性投与
  H2 ブロッカー:lafutidine, famotidine
  PPI: omeprazole, rabeprazole
  これらの臨床薬の単独投与で塩酸による潰瘍発生を予防できなかったが,Zn-carnosine 前投与で著しい防御効果を示した.Zn-carnosine は著明な HSP72 誘導作用を示す.しかし,Znを除いたカルノシン単独では誘導しない.これと平行してカルノシン単独投与では潰瘍防御効果を示さない.HSP72 は外因性の胃潰瘍の発症を抑制する.
 C)肝臓については,partial hepatectomy,70% を切除,を実施すると,3 日後までに切除前の 70%,10 日で切除前まで回復する.HSP72 は細胞質に存在するが,術後6時間で全肝細胞ですべて核への移行した.24時間経つと,細胞分裂が活発な門脈周辺を除き細胞内に分布するようになる.門脈周辺での HSP72 の核内集積は術後 1 ヶ月でも散見され,3 ヶ月で核内から消失した.HSP72 は核内に移行して,肝細胞分裂に役割を果たしているものと推定される.
  培養肝細胞の熱や毒性薬剤に対する耐性を観察すると,HSP72 の cDNA を挿入した場合耐性が有意に増す.HSP72 は肝臓においても,細胞防御に機能していると考えられる.
 D)HSP60 と免疫抑制剤 mizoribine.HSP60 はミゾリビンをリガンドにした affinity クロマトグラフィで精製できた.さらにフローセルに HSP60 を結合させ,surface plasmon resonance によって HSP60 とミゾリビンの結合を観察できた.citrate synthase を用いてシャペロン活性を観察すると,ミゾリビン は HSP60 のシャペロン活性を阻害した.ミゾリビンの免疫抑制は,HSP60 に結合して出現すると結論できた.
  以上の結果は,疾患の予防,治療を目的として HSP を誘導する,または抑制する薬剤を開発できる可能性を示している.その場合,最終的には人体に副作用を示さない薬剤であることは当然である.


(C) 2001 The Medical Society of Saitama Medical School