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埼玉医科大学雑誌 第28巻第2号 (2001年4月) 102-103頁 (C) 2001 The Medical Society of Saitama Medical School

特別講演

主催 埼玉医科大学第一生理学教室 ・ 後援 埼玉医科大学卒後教育委員会
平成12年2月17日 於 埼玉医科大学第五講堂

精神疾患の候補遺伝子研究

糸川 昌成


(理化学研究所 脳科学総合研究センター 老化・精神疾患研究グループ 分子精神科学研究チーム)


 養子・双生児研究から,精神疾患の病因に遺伝的要因が関与することが示唆されている.疾患の病因遺伝子研究には,大きく2とおりのアプローチがある.一つは,多発家系を用いた連鎖解析によって候補領域を染色体上に絞り込んだ後,その領域からポジショナル・クローニングを行う方法で,未知の病因蛋白へ到達することを目標としている.他の一つは,症状を誘発する物質や,治療薬の作用部位などから,病態への関与を疑われる蛋白を割り出し,それをコードしている遺伝子を解析して変異,多型を検出する方法である.こちらは,既知の蛋白から出発して病因へ到達することを目標としており,アソシエション・スタディーなどが含まれる.

連鎖解析:精神疾患では,ほとんど全ての染色体上に連鎖部位が報告されているが,同時に追試によって支持されない報告も多い.それでも,精神分裂病では,6番染色体短腕,8番染色体短腕,10番染色体短腕,15番染色体長腕,22番染色体長腕上に追試で支持された連鎖部位が存在した.報告者により,連鎖部位が異なる結果については,精神分裂病の異種性による解釈が試みられている.躁鬱病などの感情障害でも,同様に多数の部位が連鎖領域として報告されている.感情障害と精神分裂病の連鎖の報告では,一部に重なり合う部位が存在した.臨床的にも分裂感情障害,非定型精神病など,両疾患の要素を併せ持った表現形が存在することから,興味深い事実である.

アソシエション・スタディー:精神疾患の病態には,脳内の神経伝達物質の異常が考えられているため,ドーパミン,セロトニンなどの受容体,カテコールアミンの代謝酵素などの遺伝子などが解析されてきた.数多くの多型と精神疾患とのアソシエーションが報告されたが,ここでも追試に支持されない報告が数多く見受けられる.この事実は,精神疾患も高血圧や糖尿病のように,効果の弱い複数の遺伝子の相加的作用によって発症する多遺伝子疾患であるからと考えられている.

精神分裂病のドーパミン過剰仮説:(1)抗精神病薬の臨床容量とドーパミンD2受容体との親和性に相関関係があること,(2)分裂病患者の一部に脳内ドーパミンD2受容体密度が増加していること,(3)神経終末からドーパミン放出を促進するメタアンフェタミンの連用により,幻覚や妄想などの分裂病様症状が惹起される.以上3点から,分裂病の病態生理は脳内でドーパミン神経の過活動により説明されるとする「ドーパミン過剰仮説」が唱えられた.

ドーパミンD2受容体の遺伝子解析:双生児・養子研究から,精神分裂病の発症に遺伝的要因が関与することは古くから指摘されていた.一卵性双生児の分裂病の一致率は,二卵性双生児の一致率より数倍高い.分裂病の発病危険率は,発端者からの親等が近いほど高くなることも報告されている.これらの事実からドーパミン過剰仮説を踏まえ,ドーパミン受容体遺伝子は分裂病の候補遺伝子のひとつとして注目された.
 薬理学的にアデニレートシクラーゼを賦活するD1受容体と,抑制するD2受容体に分類されていたが,これまでに5種類の受容体遺伝子がクローニングされD1からD5の5つのサブタイプが確認されている.筆者らは,D2受容体が抗精神病薬の作用部位であることから,候補遺伝子として1990年から遺伝子解析を行った.
 対象は分裂病患者50名で,東京医科歯科大学倫理委員会の承認を得て,同委員会の規定に基づいた文書によって同意を得られた患者から末梢血を採取し,白血球からDNAを抽出した.第2エクソンから第8エクソンまで全翻訳領域をPCR-SSCP法,PCR-direct sequence法を用いて解析した.その結果,第7エクソンでシトシンがグアニンに変異してセリンがシステインにアミノ酸置換するミスセンス変異“S311C”を発見した (Biochem. Biophys. Res. Commun. 1993).分裂病対象群を156例まで拡大し,S311Cを確認したところ,14例がS311Cを有しており,そのうち3例はホモ接合体だった.一方健常対照者300名では11例にヘテロ接合体を確認したが,ホモ接合体は存在しなかった.この結果より,S311Cは分裂病患者で有意に高い頻度で存在し,分裂病の病態に何らかの影響を与えている可能性が示唆された(Lancet 1994).Manchester scaleによって,幻聴,妄想,感情鈍麻など分裂病症状の重症度を評価したところ,S311Cを持つ患者では,持たない患者と比べて陰性症状が有意に軽症であるといった特徴を有していた.さらに,分裂病対象を291例,健常対照者を579名まで拡大し,Manchester scaleの評価により陰性症状の強い分裂病患者と,陰性症状の軽症かほとんどない患者群で比較検討した.すると,陰性症状が軽度の患者群では,健常対照者(4.1%)より17.1%と有意に高い頻度でS311C保有者が確認されたのに対し,陰性症状の重い患者群では5.7%と有意差が認められなかった(Am. J. Med. Genet. 1996).このことから,S311Cは陰性症状の軽いタイプの分裂病と関係している可能性が示唆された.また,気分状態に不一致な(幻覚,妄想など)精神症状(MIP)を示す感情障害でもドーパミン神経系の異常が疑われていたことから,12例のMIP陽性例を含む78例の感情障害も検討したところ,双極性感情障害でMIPを有する患者では有意に高い頻度でS311Cが認められた.
 受容体の第3細胞内ループは,アゴニスト刺激による受容体の細胞内移行(internalization)に重要な働きをする.S311Cはこのループの中央部分に位置することから,細胞内移行に何らかの影響を及ぼしていることが疑われた.そこで,筆者らはCHO細胞へS311C型と野生型のD2受容体cDNAをトランスフェクションし,ドーパミン刺激による細胞内移行実験を行ったところ,S311C型D2受容体では,野生型より有意に細胞内移行が低下していた(Mol. Pharmacol. 1996).細胞内移行は,受容体応答の脱感受性に重要な役割を果たしていることから,S311Cが分裂病で高頻度に見られたことはドーパミン過剰仮説とも符合すると考えられた.

おわりに:分裂病の病態に,ドーパミン系神経の異常活動が関与していることは十分な事実と考えられる.しかし,難治例の存在や陰性症状のように,ドーパミン以外の神経活動の関与も考慮する必要がある.また,分裂病研究ではひとつの知見が再現されにくいが,これは成因において,複数の遺伝子が相互に作用しながら関与し,ひとつの遺伝子の効果が小さいためとも,分裂病の異種性のためとの解釈も試みられている.S311Cに関しては,15件ほどの追試が行われたが,対照より分裂病で高い頻度を認めたのは2件であり,他は同頻度か低いといった報告だった.近年,分裂病でD2受容体の細胞内移行の異常を示唆する報告や (P. Sheeman 2000, A. Abi-Dargham 2000),S311Cが症状の修飾因子として作用する可能性も示唆された(A. Serretti 2000).批判と修正を加えられながらも生き残ってきたドーパミン仮説は,異種性を内包したこの難病のなぞを解くには,今後もひとつの鍵となるのではないだろうか.


(C) 2001 The Medical Society of Saitama Medical School