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埼玉医科大学雑誌 第29巻第4号 (2002年10月) 252頁 (C) 2002 The Medical Society of Saitama Medical School

特別講演

主催 埼玉医科大学心臓血管・呼吸器外科 ・ 後援 埼玉医科大学卒後教育委員会
平成14年7月2日 於 埼玉医科大学心臓病センターカンファレンスルーム

循環器疾患の遺伝子解析

間野 博行


(自治医科大学ゲノム機能研究部教授)


 ヒトゲノムプロジェクトの最初の成果である「ドラフトシークエンス」が2001年2月に公表され,ヒトの持つ全遺伝子セットについてかなりの情報が明らかになった.我々人類は予想よりはるかに少ない約4万種類程度の遺伝子しか持っておらず,これは体細胞が1000個程しかない線虫の遺伝子数の約2倍に過ぎない.ヒトがこのように少ない遺伝子セットからいかにして高度な多細胞生命体を維持しているかは未だ謎である.2003年には完全版ヒトゲノム配列が公表されると予想されており,いずれにしても我々がヒト遺伝子の全貌を手に入れるのも間近である.
 このようなゲノム情報が医学にもたらす影響は莫大である.恐らく今後10-20年程の間に旧来にない速度でヒトの疾患責任遺伝子が同定されていくであろう.またそのためには「膨大ではあるがあくまで有限な遺伝子プールの中からいかに効率良く疾患関連遺伝子を同定するか」について新たなアプローチ法の開発が必須である.現段階ではこのような大規模遺伝子スクリーニングに最適な手法はDNAチップ・DNAマイクロアレイ(以下DNAチップ)といえる.
 DNAチップはスライドガラスなどの小さな担体上に遺伝子由来のcDNAあるいはオリゴヌクレオチドを高密度に配置したものであり,一回のハイブリダイゼーション実験で数千〜数万種類の遺伝子の発現量を検定可能である.本法を用いることで疾患ごとに全ヒト遺伝子の発現変化を定量し,疾患特異的に発現が上昇あるいは低下する遺伝子を選び出すことも夢ではない.ではこのような大規模遺伝子発現解析法によって,具体的にどのような循環器疾患の解析が可能であろうか.
 動脈硬化,腎疾患,食塩摂取の亢進,遺伝性素因など多岐に渡る原因によって全身性高血圧が生じる.その結果しばしば単位心筋細胞あたりの筋繊維量が増加し「心肥大」が誘導される.しかしこのような長期に渡る心肥大・高血圧はやがて心筋細胞の収縮力低下及び細胞死(アポトーシス)をもたらし,心機能が低下した「うっ血性心不全」と呼ばれる状態になる.いったん低下した心機能を回復することは現在でも極めて困難であり,心疾患は本邦の代表的な死因の一つとなっている.うっ血性心不全に対する全く新しい分子標的療法を開発する上でも,心筋細胞の収縮力低下及び細胞死がどの様な分子メカニズムで誘導されるかを明かすることが最も重要であろう.
 しかし,これまで心肥大の発症メカニズムが詳細に研究されてきたのに比べて,心不全の発症機構はほとんど不明なままである.これは「長期に渡る心臓の圧・容量負荷」をin vitroで再現できる良質なアッセイ系が存在しないことに起因するといえよう.培養心筋細胞を用いる限りこれら長期に渡る遺伝子変化を追試することは不可能であり,やはり真に心不全の病態を解明するためには生体での心筋を直接解析する必要がある.具体的には(1)心不全の疾患モデル動物を用いた解析と(2)ヒトの心筋検体を用いた解析,の2通りのアプローチが可能であろう.またその際の解析手法としてDNAチップが有用である.すなわち心不全発症モデル動物においては,心不全の様々な病期における心筋細胞を調整し,これらの間で発現変化する遺伝子をDNAチップによって経時的にスクリーニングすることが可能であるし,実際の患者検体を用いた場合は,経時的スクリーニングは不可能であるが,貴重な疾患サンプルを直接解析することにより,血圧,左室駆出率あるいは平均心房圧などにリンクして発現変化する遺伝子を同定できるであろう.
 解析遺伝子数と解析サンプル数の両者を共に増大させた条件下でこのようなアプローチを取ることにより,真に疾患発症に関連して発現量が規定される遺伝子が浮き彫りにされると期待される.

(C) 2002 The Medical Society of Saitama Medical School