指導医メッセージ

栗田浩樹先生

指導医・栗田 浩樹 先生

氏 名 :栗田 浩樹(クリタ ヒロキ)
出身地 :東京都出身
診療科目:脳卒中外科
専門分野:高難易度脳動脈瘤、脳動静脈奇形の手術

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医師を目指した理由

警察官であった父に「将来はお金のためではなく、人のため、社会のために働きなさい」と言われて育ちました。
人と接する事が好きだったので、小学生の頃は医者か教師になりたいと漠然と考え、中学生ではパイロットのかっこよさに強く憧れていました。
ところが、高校生の時に部活で大けがをし、一時は恒久的な障害も覚悟したのですが、担当医に励まされて無事に退院できたとき、自分も医師になろうと決心しました。

研修医時代のエピソード

脳神経外科研修医として初めて赴任した病院では、毎週火・木・土・日の週4日の当直、病院から半年間一歩も出ない生活が続きました。
平成の世の中にこんな労働環境があるのか?と驚きましたが、大学時代の部活で寮生活に慣れていたため、そんなに苦しいとは思いませんでした。同期の研修医と「長期合宿」をしている感覚です。
ただ、次々と運ばれて来る重症の急患を前に、最初は何もできない自分が情けなく、1学年上の先輩がひたすら「偉大」に見えました。

脳卒中外科を選んだ理由

学生時代より救急の第一線の現場で働きたい、一生をかけて技術を磨いていく職人としての外科医への憧れ、脳神経外科医になる事に迷いはありませんでした。
特に脳卒中外科(脳血管障害の外科)は半数以上が緊急手術。「差し迫った患者さんの生命の危機を自分の技術で救う事ができる」という点では、これ以上自分の志向性に合った診療科は他にないでしょう。
「生まれ変わっても脳血管外科医!」と思っています。

私は23年間の脳外科医生活のうち、20年以上を大学病院で勤務しています。研究をして論文を沢山書いた「Neuro-scientist」ではなく、独国での留学時代を含めて、その勤務時間のほとんどを手術室とERで過ごしてきた「Neuro-carpenter」である事を誇りにしています。

国際医療センターの魅力(イチオシ)

当院の脳卒中センターは、脳卒中内科や脳血管内治療科が非常に有名であり、手術成績だけではなく、臨床volumeや外科以外の治療成績も日本一であると自負しています。
また、私は救命救急センターに属し、救命救急科の全面的なback upが受けられるので、脳血管外科医にとっては、手術に専念できる全国でも極めて稀な恵まれた環境です。

国際医療センターでは、若手医師の執刀機会が他大学に比べて圧倒的に多い(全国平均の数倍)のが特徴です。
これは私の信条として、直接の指導下で「若手医師に執刀させ、自分が執刀した時と同じ結果を残す」事と合致しています。この条件で手術が上達しないはずがありません。

加えて、前述の神経救急診療4科の風通しがよく、リハビリスタッフやナース等のcomedicalとも強い信頼関係で結ばれており、診療科や職種の垣根を超えた合同カンファレンスを毎日開催しています。

研修医へのエール

現在まで100人以上の初期・シニアレジデント研修医を指導してきて思うのは、外科的な技量を含めた臨床能力は才能ではなく情熱に比例するという事です。しかし、最も重要なのは「患者さんの心に常に寄り沿える事ができるか?」が大事です。

自分を信じて治療を受ける患者さんに対して、入院時から退院まで持てる知識と技術のすべてをかけて専念すること、これが研修医に期待する唯一の事です。

研修医が未熟なのは当然です。「知らない」ことは決して恥ずかしい事ではありません。臆することなく上級医に質問してください。逆に「知っているふりをする」事は医師として、人として、これ以上恥ずかしい事はないと思います。そして、出来るだけ多くの若手が私をどんどん追い抜いて欲しいと願っています。

「業績を残すのは三流、名を残すのは二流、人を残すのが一流」私の座右の銘です。

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真下由美先生

指導医・真下 由美 先生

氏 名 :真下 由美(マシモ ユミ)
出身地 :東京都出身
診療科目:消化器内科
専門分野:消化器内視鏡 消化管がん(食道・胃・大腸がん)の内視鏡的治療(ESD他)

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医師を目指した理由

子供のころからの漠然とした夢でした。
身近に医療従事者はおらず、医師は「病む人を救う」あこがれの職業でした。

研修医時代のエピソード

あまり優秀な研修医ではありませんでした。有り余るパワーを無駄に消費していました。
知識も経験もないくせに、思い描く医師像が大きすぎて、空回りの毎日で正直苦痛でした。
医師としてどうすべきかではなく、自分は人として何をしてあげられるかと悩み、考え、判断すればよかったと、今は思います。
しかし、何故か研修医時代は良い思い出として残っています。そして不安や悩みを共有した同僚は、現在も大切な友人です。

消化器内科を選んだ理由

私にとって医師は病む人を救うあこがれの職業でしたので、生死に関わる医師らしい診療科に進もうと思い、親の反対を振り切り選択しました。当時、消化器内科・外科で母がお世話になったのも大きな理由だったと思います。
理想と現実の違いに苦しみ、転科を考えたこともありましたが、消化器内視鏡治療と出会って、内科医である自分が癌を治すことが出来るということに感動し、現在に至っています。専門特化した今は、専門医である自信が自分を強くしてくれたと感じます。
消化器内視鏡による医療は日本が世界ナンバー1です。グローバルに活躍したい人にもお勧めです。

研修プログラムのイチオシ

  • 研修医を大事にする土壌がある病院です。→ これが一番大事だと思います
  • 学閥を感じさせない病院です。→ あると思いますが…
  • 田舎ですが、都内の研究会に参加できる距離です。→ 頑張って参加しています
  • 症例の宝庫です。→ これも魅力です
  • 経験を伴わないと知識が身につかないタイプの人にお勧めです。
  • グローバルな視野を持ち、専門特化した指導医が多数います。

我々の技術・経験・そして人間性に触れてみてください。
研修医の先生方に医療人としての夢をお見せしましょう!

研修医へのエール

「若い時の苦労は買ってでもせよ」という言葉を信じて、不安・苦痛から逃げないでください。必ず、未来へのパワー源になります。
でも、辛いだけでは…という方、
一緒に、夢に向かって、楽しく仕事しましょう!
夢、漠然とした表現ですが、これに出会えると医師としての喜びを実感できます。

最後にもう一つ、これから医師として羽ばたく研修医諸君へ、
「患者さんにとってのベストはなんだろうか」研修医時代はこの事を、自分の人生の優先順位の一番上に置いて判断をしていけば、大きな間違いはないと思います。
患者さんは師であり最強の味方です。

我々指導医は全身全霊で研修医諸君をバックアップしていきます。
埼玉医科大学国際医療センターで、一緒に働きましょう!

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高平修二先生

指導医・髙平 修二 先生

氏 名 :髙平 修二(タカヒラ シュウジ)
出身地 :静岡県出身
診療科目:救命救急科
専門分野:救急医学全般・心肺蘇生・血液浄化

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医師を目指した理由

立派な理由などありません。本当は海洋土木屋になりたかったです。
子供の頃から海が好きで、台風の日でも自転車で海岸へ遊びに行ったりしていました。
小学生の時、東京湾アクアライン計画に感動し、高校時代は海洋工学に興味があり、海洋資源開発や海洋土木、塩害対策でのマングローブ植樹等、専門書を読みあさって夢想するほど、海に関わる仕事に就きたかったです。
高校の教師からは夢に向かって進むように指導され、父親には「夢では飯が食えない」と言われて迷いましたが、医師になれば船医にもなれるし、好きなことも出来ると考え、漠然と医学部に進学しました。
もともと船酔いする体質なので船医は断念し、現在は何故か海に隣接していない埼玉に住んでいます。

研修医時代のエピソード

素行も成績も悪い学生、その後は出来の悪い研修医でした。
最初の研修は血液内科。医師免許はあるけど何も出来ない。採血を上手くとることが出来ず、患者さんに痛い思いを何度もさせては冷や汗が出て、緊張したことを今でも憶えています。
同期の仲間が次々と新しい手技を覚えていくのに、私は採血も満足に出来ない状況が続き、辛い思いを何度も経験しているうちに、医師を続けることを辞めようと真剣に悩んだことさえありました。

救命救急科を選んだ理由

埼玉医科大学を卒業後、当初、師事していた教授の腎臓内科に入局しました。教授の臨床診断能力の高さと人柄、持続血液濾過透析の専用ユニットの開設を担当させてもらえたことが理由でした。
当時、埼玉医科大学病院には救急を専門に扱う部門はありませんでした。私は、持続血液濾過透析の専用ユニットでは、急性腎不全、多臓器不全以外にも劇症肝炎や急性重症膵炎、ARDS、薬物中毒、横紋筋融解症等、多岐にわたる疾患を経験しました。今でも、その時の経験が役に立っています。
大学病院を2年半程離れ再び戻る際、顕微鏡を覗いて難しい腎生検の病理標本を見ているより、体を動かすほうが自分には合っている気がして、当時、救急副部長を兼任していた教授の意向もあり、腎臓内科でなく救急部に配属となりました。

研修プログラムのイチオシ

平成20年6月12日付で認可された新しい救命救急センターは、伝統も学閥もありません。
伝統は我々が創るもので、我々の切り開いた道が伝統になると思っています。
救命救急と言うと北米型ERや独立型救急、重症集中治療をイメージしますが、当院はすべての要素を兼ねています。
そして、背景の違う医師が大勢います。学ぶ姿勢があれば、いつでもどんなことでも学ぶことが出来ます。私自身この歳になっても、脳神経外科の先生に開頭手術の技術を、整形外科チームの後輩に創外固定の方法を新たに学んでは感動する機会が多々あります。そして、その感動は自分が救急分野で従事できる原動力の1つとなっています。

研修医へのエール

医師に必要なものは「知識」と「経験」、それと「情熱」だと思います。
でも、私は研修医に「知識」と「経験」を求めません。たった1つ「情熱」だけです。
「情熱」があれば病院での豊富な症例の体験をとおして「知識」と「経験」を積むことができるからです。
辛いことも悲しいことも10年経てばいい思い出です。
悩んでいるなら先ずは行動しましょう。一緒に行動し、共に悩んでくれる指導医は、きっと身近にいるはずです。

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中埜信太郎先生

指導医・中埜 信太郎 先生

氏 名 :中埜 信太郎(ナカノ シンタロウ)
出身地 :東京都出身
診療科目:心臓内科
専門分野:循環器救急、カテーテルインターベンション、先天性心疾患

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医師を目指した理由

人の記憶はあいまいなもので、きっと医師を目指した理由は、時とともに形を変えていくのでしょう。
親族に医療従事者はおらず、将来のことについては高校2~3年生の時に友人たちと葛藤していました。医師ならcreativityを生かせると考え、医学部を選択したのではないかと、ぼんやり記憶しています。

研修医時代のエピソード

10数年前は今の医学生ほど授業・実習に出席しなくてもよかったのではないでしょうか?
医学部時代はスポーツ(アイスホッケー)に明け暮れていたのに、ある日突然、準備もなく社会人として大海原に放りだされた感じです。何もできない自分にいらだち、味わった悔しさは決して忘れない、と誓っていました。
あと、この苦しい時期をともに過ごした同僚たちは生涯の友人になりました。みんなも大事にしてください。

心臓内科を選んだ理由

日本循環器学会以外に、すでに日本小児科学会と日本救急医学会の研修を終え、3科の専門医を所得しました。その中でも、循環器(心臓内科)の持っている特徴的な魅力がいくつかあります。

  1. 病態解明(診断)の質が、治療方針や予後に直結する。薬剤治療やインターベンションなどで劇的に良くなる患者さんが多い。
  2. 診療対象となる患者さんの数が多く、統計学を用いて医療全体の流れを見渡すことができる。
  3. 救急・プライマリーケアの要素が詰まっているため、研修医のみんなや学生さんの教育に携わりやすい。
  4. かなり基礎研究領域が充実している(このことは医者になってから痛感しました)。

そして、この科は他科の先生からの重症患者のコンサルテーションをいただくことが多く、人の一生を見守ることができる科だと思います。

国際医療センターの魅力(イチオシ)

立地・ハードウエア:日高は中途半端な田舎ですが、医療に集中でき、都心へのアクセスもまずまず良いところです。建物や医療機器は世界最高水準です。病院周辺の美味しい空気を吸いながら、美しい風景を見渡せば、どんなことでも乗り越えられる気になります。

業務内容:日々、救急を含めた重症患者を診療できます。
一方で、大学病院として研究(臨床研究・基礎研究)や教育にも力を入れています。研修を通じて基礎的な力を身につけることは第一段階、さらにその先の国際性を視野に入れ、創造力あふれる仕事ができます。可能性は無限です。

研修医へのエール

研修医の頃は、実質的に足手まといになっていると感じるでしょう。しかし、大学病院で勤務すると、研修医の持つ新鮮さ、活力、そして希望によって、病院は支えられている、と痛感します。すべての研修医は宝と思っています。また指導側も、研修医によって日々成長させてもらっていますので、いつもみんなには感謝しています。この関係は合わせ鏡で、「良い指導医」のもとで「良い研修医」が育つが如く、「良い研修医」が「良い指導医」を育てる、と思ってください。

Seeing is believing. 一度こちらに足を運んで、みんなの先輩たちが職場でどのような「顔」をして仕事しているかご覧になってください。そのきらきら輝いた「顔」こそが、僕たちが提供できるすべてであり、研修医のみんなが探し求めている答えであると確信しています。

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山口央先生

指導医・山口 央 先生

氏 名 :山口 央(ヤマグチ オウ)
出身地 :東京都出身
診療科目:呼吸器内科
専門分野:肺がん、間質性肺炎

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医師を目指した理由

気が付いたら、医師になっていました。
物心ついた頃から、同じく医師である父親に「おまえは医師になるんだぞー」とすり込みされていました(笑)。おそらくその結果です。

研修医時代のエピソード

埼玉医科大学卒業後、福岡県の飯塚病院で初期研修・後期研修を行いました。志ある同期と一緒に、医師のキャリアをスタートできたことが何よりの誇りです。

飯塚病院で研修を行った一番の理由は『活気』です。
見学に行った際に、若い先生達が救命センターで活発に動いていていました。診断だけではなく、症状の緩和や大人数を診察するためのタイムマネージメントにも一人ひとりが気を配り、「我々が救急初療のプロなんだ!」という意気込みが伝わってきました。
当時大学5年生だった私には本当に輝いて見え、まさに衝撃的でした。

研修医1年目の麻酔科での研修が本当に辛くて、挫折しかけました。しかし、自分で理解し、できることが増えてくると面白くなり、2年目に再度ローテションさせて頂きました。
全身管理の基本は今でも臨床の現場で重宝しています。
振り返ってみると、辛い時期があっても、一つひとつの『成功体験の積み重ね』が自分のキャリアを切り開いていくものだと痛感しています。

呼吸器内科を選んだ理由

初期研修医を終えた3年目から呼吸器内科に進みました。悪性腫瘍、感染症、アレルギー等、多彩な疾患群を対象にしていることが魅力的だと当時は思いました。
しかし、一番の理由は飯塚病院の呼吸器内科に尊敬できる先輩レジデントが多数在籍していたことです。
単に、「自分もあーなれたらよいな」という憧れです。人と人との繋がりは本当に大切な事だと思います。

結果的に卒後7年間を一般病院で過ごしました。その後、縁あって現在の上司である小林国彦教授より、「大学で後世に残るよい仕事をしなさい。アカデミーでしか成し得ないこともあります。」と温かく、また刺激的な言葉をかけていただき、2013年4月より国際医療センターに赴任しました。

国際医療センターの魅力(イチオシ)

当センターは日本屈指(世界屈指)のスーパーハード病院ですので、こんなこともできてしまうのかと驚きの毎日です。

私が所属している呼吸器病センターでは、呼吸器外科、放射線腫瘍科、放射線診断科、病理診断科、緩和ケア科などと密な連携をもって診療しています。
各領域の専門家のプロフェッショナルとしての意識の高さを感じながら仕事ができることがなによりの魅力です。

研修医へのエール

熱心に、貪欲に、色々なことに興味を持って前向きに取り組める研修医と一緒に働ける事を期待しています。
もちろん、知識と経験の不足は私をはじめとする指導医が補うのでご心配なく。一緒に頑張りましょう!

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