診療選択肢評価図描画システム

はじめに:「診療選択肢評価図描画システム」とは何か

 初診時や入院初期などの不確実情報下において、候補疾患、対処選択肢、利益・不利益などを図示したり、判断の指標を自動計算したりすることにより、臨床的意思決定をサポートするコンピュータシステムです。まだ粗削りでエレガントではありませんが、実用性は十分だと考え、公開することにしました。表示する「診療選択肢評価図」の詳細については、拙著論文を御参照ください(太田 2011、太田 2015)。
 用途としては、日常的に全症例で使用するようなことは想定していません。判断の難しい症例での自己チェック、研修医の思考訓練、いろいろな層の医師からなる集団での症例検討、などの場面で時に応じて使用することを想定しています。
 作成背景などはともかく、すぐに使ってみたいという方は、「●簡単な例」にジャンプし、そこからお読みください。
 なお、本ソフトウェアは、本ページから無料でダウンロードして使うことができますが、作成に関わる諸権利は放棄していません。個人として使うことは自由ですが、有償の再配布は御遠慮ください。また、できましたら使用開始時に私にメールをいただければ幸いです。

●なぜこのシステムが必要と考えたか

◆医療一般において、初期・急性期は情報不足のことが多い
 診療科にかかわらず、初診時、あるいは悪化して入院となった急性期初期などは、まだ情報が不足していることが多いものです。検査をオーダーしても、一部の検査はすぐには結果が戻って来ません。特に精神科では、人からの陳述が情報の比較的多くを占めます。加えて、症状に主観性が強いため、家族や周囲の人たちからも直接・間接的に情報を集めて、情報の信頼性を高める必要もあります。したがって、特に不確実情報下という状況になりがちです。
◆病気によっては、診療時にまだ診断確定に必要な症状が出現していないこともある
 病気によっては、というよりもほとんどの病気には、初期-極期-(慢性期)-回復期-治癒期という時期があります。そして、初期には、ある病気を疑うことはできるが、まだその診断を確定するほどの症状も所見も出現していない、ということがありえます。精神疾患の場合、一般に病状展開がゆっくりなので、確定診断までの期間は特に長いと考えておくべきです。
 さらに言うならば、精神疾患の場合、症状がほぼ展開し切って診断が確定したとしても、厳密にはそれは言わば仮の確定だ考えておくべきです。多くの精神疾患では、そもそも病因が不明です。その場合、疾患の定義は、病因に関連した検査所見などで行うことはできず、症候に基づいてなされます。そして症候は、実際上、疾患特異的なものは何一つありません。特異的症候はある、という意見があるかもしれませんが、その症候の評価は臨床医が観察や陳述に基づいて行うのですから、実際上は非特異的にならざるを得ないのです。非特異的症候をいくらたくさん集めても、それによって得られる診断は非特異的です。診断基準という約束事を持ち込めば、診断は診断基準に対しては確定するのですが、本来の医学的(自然科学的)な意味では確定していないと考えておくべきです。
◆我々は不確実情報下でも適切に診療しなければならない
 しかし、我々は、たとえ不確実情報下であっても、適切かつ合理的な診療を行わなければなりません。状態によっては、入院後、大事な検査が未着な段階でも、それまでの情報に基づいて治療のオーダーをする必要があります。このようなとき、症状や状態像を標的として治療を行うことになります。しかし、それだけでは不十分であり、ときには危険です。たとえ仮想的であっても、複数であっても、可能性のある「疾患」(ここでは症候、検査所見、治療、転帰などのセットを想定し得る診断単位という程度の広い意味)を意識しないと、治療や追加検査を含む適切な対処はできません。重篤な疾患が潜んでいる可能性のあるときにはなおさらです。
◆医師は経験的にそれを臨床技能として実行している
 ところで、我々は普段、初期診療をどうやっているのでしょうか。実は、経験のある医師は、上記のような一連のプロセスを日常的に実行しているふしがあります。
 我々は初診時、主訴を把握し、それを主症状に翻訳し、ほかの併存する所見も把握します。そして、所見全体のパターン認識や主要所見からの疾患リスト展開など、いろいろな方法を柔軟に用いて、所見を評価・判断し、いくつかの候補疾患(本システムでは「疾患選択肢」と呼ぶ)に到達します。そのうちのひとつ、たいていは最も可能性が高いと判断した疾患選択肢を、初診時診断とします。しかし、実は、頭の中には、それ以外の疾患選択肢(群)も頭に残しています。そのうえで、診察や検査を継続・追加します。治療も、疾患選択肢(群)のそれぞれの可能性の大きさや重大さを勘案しつつ、最適な治療を選択するものです。ときには可能性の大きさよりも重大さを重視することもあります。特に脳器質性疾患や症候性疾患の可能性のある場合はそうです。治療開始後も、病状経過や治療反応性に引き続き注意を払いつつ、慎重に観察を続けます。この一連の過程が、我々が先輩医師から連綿と受け継がれて来た臨床の知恵です。
◆臨床技能は医師間でズレがある
 しかし、上記のような臨床技能による判断は、医師の間で微妙にズレる可能性があります。同じ環境で育った同程度の経験年数を有する医師どうし、いわゆる「ツーカーの仲」の者どうしでは、齟齬は最小でしょう。しかし、異なる教育を受けた医師の間では、判断のありように食い違いを生じる可能性があります。さらに、研修医とベテラン医師、精神科医師とプライマリケア医との間でも、判断は異なって来るでしょう。我々は大学病院でいわゆる屋根瓦方式によるグループ診療をしていますが、グループミーティングで意思疎通を図ったにもかかわらず、その後の診療科全体での研修医のプレゼンテーションが指導医の意図からズレていた、というようなことを、ときどき経験します。
◆評価・判断過程を図示することで判断の適切さやコミュニケーションの確実性が増す
 私は、そこに評価・判断過程を図示することの意義があると考えました。図示しながら自ら考えることで、判断の適正さを自己評価することができます。また、頭の中で考えたことを図に描き出せば、考えていることは他人から見ても一目瞭然ですから、コミュニケーションや討論にも役立つでしょう。

●簡単な例

 診療選択肢評価図は、診療状況における判断の諸要素を1枚の図に配置したものです(図1b)。ソフトウェアである描画システムは「表編集画面」を持っており(図1a)、そこで診療選択肢評価図を簡単に描画・編集・印刷することができます。

図1a

 システムの使い方を、単純な仮想症例を用いて説明します。

 インストールについては最後に説明します。ここではすでにインストール済みであることを前提にします。通常の手順は以下のとおりです。

  1. 立ち上げます。 → 「初期画面」が出ます(少し時間がかかります)。
  2. 「環境設定」ボタンをクリックし、2項目の初期設定をします。
  3. 「新規作成」ボタンをクリックします。
    → 「表編集画面」が出ます。
    保存データがある場合は「参照」ついで「選択」とクリックします。
    → 「表編集画面」が出ます。
  4. 情報やデータを書き込みます。
  5. 「保存」ボタンをクリックし、適切なファイル名を入力します。
  6. 「表編集画面」に戻ります。
  7. 印刷する場合は「印刷」ボタンをクリックします。
    → 印刷フォーマットの表示が開きますので、それでよければ印刷します。
    印刷しないで終了する場合は「終了」ボタンをクリックします。
    初期メニューに戻る場合は「キャンセル」ボタンをクリックします。

☆仮想症例:発熱を伴う急性錯乱様状態で緊急入院となった20歳代男性患者

 2,3日前から異常言動とともに発症し、比較的急性に進行、途中で家族は発熱に気づいています。夜間緊急受診時の診察で、緊張病状態ととれるがいまひとつ典型的でなく、暫定的に錯乱様状態としか言えない状態です。緊急CTで、やや怪しい所見はありますが、脳炎と断定できるほどのものではありません。

  1. 疾患選択肢は 「A.統合失調症」と 「B.脳炎」とします。実際はほかにもいろいろと可能性を考えるのでしょうが、ここでは簡単のために2つとします。
  2. 疾患の確率はそれぞれ 0.7、0.3 とします。この数値について、事前にデータがあればいいのですが、ない場合、臨床経験に基づき、ベイズ統計学で言う「主観的確率」(森田1971)で代用します。説明のための例なので、ここでは数値の医学的妥当性は議論しません(以下同様)。
  3. 当面数日以内くらいを想定した対処選択肢は ①抗精神病薬投与と ②アシクロビル点滴とします。
  4. 対処選択肢ごとの治療結果の見通し、すなわち利益と不利益は、以下のように想定します。
①対処選択肢=抗精神病薬投与
A.疾患が統合失調症だったとした場合
  利  益:  5  (症状改善が見込める)
  不利益:  2  (多少の副作用がある)
B.疾患が脳炎だったとした場合
  利  益:  1  (多少の鎮静が得られる)
  不利益: 20  (治療が手遅れになる)
②対処選択肢=アシクロビル点滴
A.疾患が統合失調症だったとした場合
  利  益:  0  (効果はまったくない) 
  不利益:  4  (治療遅延、経済的コスト)
B.疾患が脳炎だったとした場合
  利  益: 20  (ヘルペス脳炎だった場合、脳の非可逆的侵襲の回避)
  不利益:  2  (経済的コスト)

 ここで、利益と不利益の数値に単位はありません。あくまでも相対的なものです。例えば、疾患が統合失調症だった場合の抗精神病薬投与の利益が 5というのはあまりに小さく評価していると思われるかもしれませんが、これはヘルペス脳炎が手遅れになった不利益との較差を大きくしたいためです。

 この例を「診療選択肢評価図描画システム」の「表編集画面」に記入すると、図1aのようになります。

  1. 上部の「A___」、「B___」という部分に疾患選択肢(ここては統合失調症、脳炎)を記入します。
  2. 今回は疾患選択肢が2つですので、利益・不利益のグラフ表示部分の列のうち、C、D、Eの列は今回は使いません。境界線をドラッグして右端に移動してC、D、Eの列を潰し、AとBだけを残します。
  3. AとBの列幅を確率数値に合わせます。方法は2つあります。
    ・  境界線をドラッグ&移動し、列の幅をそれぞれ 0.7、0.3 とします。下の数値表示部分に自動的に確率値が表示されます。
    ・  下の数値表示部分に直接確率値を入力する方法もあります。幅が自動的にそれに合致するように表示されます。
  4. 左の「対処①」、「対処②」にそれぞれ抗精神病薬投与、アシクロビル点滴と記入します。
  5. このあとの利益・不利益の記入法も2つあります。
    ・ 図の利益・不利益グラフ表示部分任意の場所に目盛を目安にしてカーソルを置き、左クリックします。すると、そこを境界とする利益または不利益のグラフが描画されます。同時に、下の数値欄には自動的に利益値や不利益値が表示されます。
    ・  下の数値表示部分に直接確率値を入力する方法もあります。グラフが自動的にそれに合致するように表示されます。
    ・  いずれの場合も、表編集画面の右の方に、各疾患選択肢×各対処選択肢ごとにコメントを記入する欄がありますので、御利用ください。このコメントは、印刷した場合、診療選択肢評価図とは別に2頁目に表として出力されます(図1b、2頁目)。

 さて、我々が決断すべきは、どちらの対処選択肢を選ぶかということです。
その基準として最も合理的なのは、それぞれの対処選択肢において、図1aの青の部分全体、すなわち利益の期待値が、図1aの赤の部分全体、すなわち不利益の期待値と比べ、どれくらい大きいかという点です。「利益-不利益」を「実質利益」と呼ぶことにして言い換えますと、実質利益の期待値が大きい方の対処選択肢を選ぶこと、言い換えれば、青全体の面積が赤全体の面積よりも大きい方の対処選択肢を選ぶことが、ひとつの合理的意思決定ということになります。視認しますと、青優位度は対処①よりも対処②でより大きいように見えます。下の数値表示部分を見ると、対処①と②の実質利益の期待値はそれぞれ -3.60、+1.10  となっていますので、視認による判断が確認できます。
 選択の基準はひとつではありません。例えば、「起こり得る危険が最小の治療がいい」という患者さんもいるかもしれません。その場合、赤だけに着目して、最大の高さが小さい方の対処選択肢を選べばいいのです。
 さて、この症例は、入院翌日、髄液検査を実施しました。その結果、脳炎と確定させるほどの細胞数上昇はありませんでした。蛋白や糖も正常範囲でした。そのほかの特異的な所見は未着です。病状は、1晩の睡眠で少し落ち着いたように見えました。今朝はわずかですが食事をとったとのことでした。
 この段階で、疾患選択肢の確率は変わるでしょう。例えば、統合失調症 0.95 、脳炎 0.05%と判断したとします。この場合、表編集画面のA列とB列の境界をドラッグ&移動するだけで表示を変更することができます(図2)。下の数値変更画面を見ますと、対処①と対処②の実質利益の期待値(表で「差=」とある部分)はそれぞれ +1.90、-3.15 となり、逆転して対処①の方がベターということになります。

図2

●より実際に近い例

 次に、もう少し実際に近い例を挙げてみましょう。

☆症例A

 下記のような症例です。
 70歳代後半の男性。損失を取り戻そうと必死でやっていた株を半年ほど前にやめた。その後、元気がない。不眠のため、近医を受診し、睡眠薬や抗うつ薬の処方を受けたが無効だった。1ヶ月前に短期間、自責・罪業・悲観・被害的になった時期あり。近医での頭部MRI検査では異常なし。その後、むしろ体調不良の方が目立ち、心配の対象は主にそちらになったが、内科の検査で異常なし。精神科を勧められ受診した。妻は「これまでできていたことができなくなってきた」と言う。
 疾患選択肢として、アルツハイマー型認知症初期、うつ病、(遷延性)抑うつ反応などを考え、それぞれの確率は 0.5、 0.3、 0.2 としました。対処選択肢は、ひとつには、よりアルツハイマー型認知症を重視したもの、すなわち当面投薬は回避し、SPECT検査をオーダーし、陽性であった場合に抗認知症薬投与を検討するという方針(対処①)です。もうひとつは、より抑うつ状態を重視した対処で、抗うつ薬投与を開始するという方針(対処②)です。
 疾患選択肢と対処選択肢の組み合わせごとの利益・不利益は図3のように考えました。それぞれの意図については、右側の「コメント」欄を御参照ください。
 実質利益の期待値は、対処①が +6.50 、対処②が -5.00 で、圧倒的に対処①がよいということになります。

図3

 さて、数日後、SPECT 検査を実施しました。全血流量はごく軽度の低下で、局所的にも、楔前部や後部帯状回の低下はありませんでした。ごく軽度の前頭葉血流低下があり、これはうつ状態でも起こり得ます、とのコメントがありました。
 この段階では、やはり疾患選択肢の確率に変更が起こります。例えば、認知症の確率は0.10に減らし、うつ病と抑うつ反応の確率を半々(それぞれ 0.45 )したとしますと、診療選択肢評価図は図4のようになります。ここでも、システム上での作業は、A-B列間、B-C列間の境界線をドラッグ&移動するだけです。数値は下に自動的に表示・計算されます。実質利益の期待値は、対処①が -1.25 、対処②が +3.50 となり、判断は逆転します。

図4

●ソフトウェアの説明

◆ダウンロードとインストール
 本ページから、下記の3つをダウンロードし、任意のフォルダに置いてください。 以後のインストール作業は、「インストールマニュアル」に従ってください。
開発環境は Windows 7 ですが、 Windows 8 で問題なく動くことも確認済みです。Windows 10 では試していませんが、動くという報告を受けています。
    setup.zip
   インストールマニュアル.pdf
   操作説明書.pdf
   
◆使い方
 インストール後の操作は、上記により概要は理解していただけたと思いますが、詳細は「操作説明書」を御参照してください。
◆著作権
 本システムのダウンロードと使用は無償とします。ただし、作成に関わる諸権利は放棄していません。有償の再配布は御遠慮ください。できれば、使用開始時に私宛にメールをいただければ幸いです。御意見や提案は大歓迎です。
 基本的に肖像権や意匠権などは私の側に所属しますが、現時点で、著作権の買い取りはしていないので、著作権は外注先のソフトウェア作成会社である 株式会社 エム・システム にあります。ただし、再配布(つまり私からの第三者への提供と使用許諾)の許可は正式にとっています。
御理解のほど、よろしくお願い申し上げます。

  2015/08/03(月)
  太田敏男
   埼玉医科大学 神経精神科
    toshiota@saitama-med.ac.jp
    (アットマークは半角に置き換えてください)


【参考文献】

森田優三: 意思決定の統計学(講談社現代新書). 講談社, 東京, 1971

太田敏男: 精神科における「意思決定問題の枠組み」の重要性について. 精神神経学雑誌 102(10), 1015-1029, 2000

太田敏男: 「ベクトル診断」の紹介 -- 伝統的診断方式の定式化の観点から -- . 精神医学 48(5): 529-537, 2006

太田敏男, 吉田寿美子, 綱島宗助, 戸塚貴雄, 渡邊貴文, 豊嶋良一: 「診療選択肢評価図を」を用いた精神科臨床意思決定の可視化の試み. 精神神経学雑誌 23(7): 662-671, 2011.

太田敏男: 初期・急性期の診断学 -- 不確実情報下での診療における枠組とリソース整備の必要性について -- . 精神科診断学 8(1): 2-15, 2015.

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