留 学 し よ う !

 

      

私達の教室では多くの研修生や専攻生を受け入れています。
また、私達の教室から海外へ研究をしに行く人達もいます。

世界を舞台に研究や研修をしてみようではありませんか!

研究以外にも大きな収穫があります。
   自分の専門分野の第一人者と師弟関係を持つ
   同じ専門分野の若き研究者たちと交流をもつ
   日本の研究方法、文化を見つめ直す
        ーーーーー

では、どのようにして留学をするのでしょうか?
   財団、文部省、大学、などの公金を使って行く
   交換留学制度を利用して行く
   有力教授に紹介してもらって行く
   教室と交流のある海外研究所に行く
   独力で自分を売り込んで給与を獲得する
   自費で行く
        ーーーーー

私達の教室では若い人達の海外留学を支援しています!

以下は、私達の教室で海外留学をした人達の記録です。

 

 牧田 茂 助教授

  

研究施設:ドイツ体育大学 循環器およびスポーツ医学研究所
      Institut für Kreislaufaufforschung und Sportmedizin,
      Deutsche Sporthochschule,
      Köln, Germany

国、都市:ドイツ、ケルン

時 期: @ 1987年12月〜1988年1月

      A 1995年10月〜1996年3月

方 法: @ 自 費

      A 長寿科学振興財団 日本人研究者海外派遣事業

テーマ: 日本とドイツにおける高齢心疾患患者QOL向上のための
      慢性期リハビリテーションシステムの比較研究

留学体験談:

 私は昭和58年新潟大学医学部を卒業後、一般病院に就職しましたが、学生時代からスポーツ医学に興味があり、昭和62(1987)年12月から平成1(1988)年1月までケルンにあるドイツ体育大学 循環器・スポーツ医学研究所に留学しました。30歳でした。スポーツ医学の勉強について日本のスポーツ医学界の大御所といわれていた黒田善雄先生(現東大名誉教授)に直接相談したところ、ドイツへの留学を勧められました。迷うことなく留学を決めましたが、大学に在籍しておらず、一般病院で臨床のみをしていた私には研究業績など全く無いため、自費で留学せざるを得ませんでした。4年間働いて得た収入はこの留学でほとんど使い切りました。
 業績の無い私でしたから、当然研究所でも実験の手伝いじみたことしかできませんでしたが、この研究所はドイツでも屈指のスポーツ医学領域で有名な所で、研究所長のW. Hollmannは世界的に知られた人でした。しかも心臓病患者に対してスポーツを用いた運動療法を実践しているところでした。この留学がその後の私の仕事を決定づけたことは明らかです。

 この留学期間に私はドイツ国内をくまなく旅行し、心臓病患者の運動療法を行っている施設や開業医を訪れ知識を深めるとともに、ドイツでの知人を増やしていきました。これらの知人の数人とは今日も交流が続いています。そして、研究所にいるより心臓病患者の運動療法グループに積極的に参加し、ともにスポーツをしたりビールを飲んだりして、患者さんや運動指導員とも仲良くなりました。したがって、私の1回目の留学は業績をつくるというより、友人・知人をつくりドイツの文化に触れたということが大きな収穫であったと思います。滞在中結婚式をケルンの教会で挙げたのも思い出の一つです。

 平成1年1月帰国する際は、絶対もう一度ここに来たいという思いを強くしました。帰国後京都大学第3内科の研究生となり、もとの病院での勤務を続けながら細々と業績を作っていきました。

 二度目の留学は平成7(1995)年10月から8(1996)年3月までの半年間でした。長寿科学振興財団の「外国への日本人研究者派遣事業」に申請し認められました。38歳になっていました。京都大学第3内科の研究生という肩書きが効いたのかはわかりませんが、とにかく自分ひとりですべて申請を行いました。前回と同じ研究所を留学先に選びましたので、研究所長(所長はW. HollmannからR. Rostに替わっていました)のRost教授は快く受け入れを承諾してくれました。今回は私が京都大学で実践していた心臓病患者のスポーツリハビリテーションとドイツでの運動療法グループとの比較研究という研究テーマがありました。患者さんへのアンケート調査と日常活動量を実施するもので、ドイツ語に翻訳したアンケートを配り、歩数計を手渡して記録してもらいました。その結果を帰国後いくつかの学会・研究会に発表しました。その他ドイツスポーツドクター会議にも参加しました。

 また、ドイツでの生活を楽しむために家族も呼び寄せてクリスマスを一緒に過ごしました。しかし、その年はドイツで風邪が大流行した年で、1歳の末娘が肺炎にかかりケルン大学医学部病院に入院したおまけがつきました。2回目の渡独でドイツの友人と患者さんとの交友を更に深めることができて感無量でした。友人とワインの買出しにフランス(アルザス地方)へ1週間旅行したり、心臓病患者と南ドイツ(黒い森地方)へ10日間のスキー(歩くスキー)旅行に行ったのも懐かしい思い出です。今回はドイツ統一後でしたので、旧東ドイツのドレスデンでの心臓病運動療法グループの実状も見てきました。

 日本でドイツの心臓リハビリテーションシステムについては、現在でも私が一番詳しいと思います。今年も3人ドイツ人研究者が来日しましたが、お膳立ては私がして京都観光を一日楽しんでもらいました。

最後に私から留学を希望する方へ一言
1) 留学は機会があれば是非すべきです。ただし、実力以上の業績は残せません。
2) 行ったからには何らかの収穫は欲しいのですが、それが業績でなくてもかまいません。
3) 医師とのコミュニケーションは英語で十分ですが、生活をエンジョイし患者やスタッフと仲良くなりたければドイツ語がしゃべれないと不可能です。ビザの延長申請や役所の手続きもドイツ語でないと通じません。私もケルンに行く前にミュンヘンで数ヶ月間ドイツ語学校に通いました。

 

1回目留学 

南ドイツ 
ヘーエンリード病院(心臓リハ専門病院)
病院脇にあるシュタルンベルグ湖で
患者と一緒にボートを漕ぐ
心臓病グループ患者とともに運動療法後
シュトゥーベ(飲み屋)でケルシュ(ケルン
の地ビール)を飲んで歓談する

2回目留学

ステイ先に友人が訪ねてくれる ケルンのドーム広場にて 
サンタクロースと記念写真を撮る

 

 倉林 均 助教授

  

研究施設:フランス国立医学衛生研究所 血液遺伝子学部門
      Institut National de la Santé et de la Recherché Médicale (INSERM),
      Unité de Recherché en génétique et en Hématologie (U. 91)
      Creteil, France

国、都市:フランス、クレテイユ

時 期: 平成1年9月〜平成2年6月

方 法: 文部省長期在外研究員

テーマ: 巨核芽球性細胞および赤芽球性細胞の分化誘導と免疫形態学

留学体験談:

 大学を卒業して7年目にフランス留学しました。臨床研修を終えて研究生活を始めて
間もなくチャンスは来ました。私のいた群馬大学では文部省長期在外研究員を毎年
数人募集 していました。若手枠は1人だけでしたが、たまたまその年度は応募者が
少なかったので急いで応募しました。多くの方々の推薦をいただき、在外研究員に
選ばれました。休職扱いなので 大学助手の基本給が支給された上に、滞在手当が
1日14,000円(地域、役職により 決まる)ほど出ました。往復の旅費も支給されました。

 日本から生活費(文部省の在外研究費)を持って行く、つまり無給、ただ働きですから
留学先にとって受け入れには何の支障もなく、応募した留学先からはすべて受け入れ
可能というご返事をいただき、あわてて青くなって応募の取り消しをしました。日本人の
いない場所で外国文化に飛び込もうと、フランス国立医学衛生研究所 (INSERM) を
選びました。ボスは巨核芽球性白血病を発見したJanine Breton-Gorius でした。
先代は不朽の名作「血液細胞アトラス Living Blood Cells」を著したM. Bessis です。
附属病院(Hénri Mondor 病院)には白血病FAB分類を作ったC. Sultan がいました。

 花の都パリのバスティーユ広場近くにあるアパルトマンを借りて生活しました。研究所
のあるクレテイユまでメトロ(地下鉄)で20分くらいでした。わずか10月間ですので外国
生活に慣れ、研究手技を習得して、実験データが出始めた頃にはもう帰国の準備となり
ました。残念でしたが、大きな収穫もありました。研究技術を習得しただけでなく、テーマ
を考え、実験プログラムを組み立て、データを考察していくという研究法の基礎を学び取
りました。研究者として一人立ちする自信がみなぎってきました。帰国後は、フランスで
連日連夜培養し実験していた巨核芽球から離れて、血小板、血栓症、脳卒中、リハビリ
の研究に取り組みました。指導者なくしてそれなりの研究成果を出せたのは留学で得た
研究のノウハウによるものと思います。(”血液学”の指導者や先輩には恵まれましたが)

 フランスでは日本のように深夜まで実験している人は皆無です。8時頃にはガードマン
が施錠をしにきて、実験は強制終了させられます。年末は研究室全体が休みとなり、
「お前だけ実験することはできないからバカンスを取れ、3週間以上だ。」ときつく言われ
ました。それじゃあと、アルプスに行ってスキーをしまくってきました。独身で留学したので
とても身軽でした。週末はフランス、スイス、ドイツ、イタリアなど欧州各地を旅行しました。

  研究室のボスとの話は英語でも十分ですが、ボス以外と話すには原地語が必要です
もちろん 原地で生活していくにはやはり原地の言葉が絶対に必要です。私は英語が
上手ではなかったので、英語になんの未練もなく、というより英語も仏語も下手でしたので、
どうせヘボなんだからと フランス語で通しました。冷や汗ものでした。

留学を希望する方へ老婆心ながら二言三言
1) 若い頃に是非とも海外留学すべきです。若い時の経験が研究生活の糧になります。
2) 日本と世界の差はなくなってきてますから超一流の研究所でなければ無駄です。
3) 機会はいつ来るかわかりませんから、いつでも留学できるよう準備していましょう。
4) 留学で得る研究技術はせいぜい10年が賞味期限です。帰国後が勝負です。
5) 研究も大事ですが、外国の文化、生活、風習も吸収しましょう。

   
電子顕微鏡試料の作製        南仏の闘牛(アルル) 

 
マッターホルン                トロワバレー(クールシュベル スキー場)

 

 菱沼亜紀子 大学院生

研修施設:ベルリン自由大学
      Freie Universität Berlin

国、都市:ドイツ、ベルリン

時 期: 平成14年8月1日〜平成14年8月31日

方 法: 埼玉医科大学交換留学生

テーマ: 小児科診療の臨床研修

留学体験談:

2001年8月から約1ヶ月間、ベルリン自由大学に交換留学しました。
ベルリン自由大学の先生方、臨床研修をしているレジデント達には優しく接していただき、とても感謝しております。
病棟で行う毎日の回診では、私のためにドイツ語ではなく、英語で行ってくれたほどです。病院の敷地内にある研修医の宿舎 (Haus)  に滞在させていただき、とても充実した毎日を過ごすことができました。
病院は緑に囲まれたとても静かな場所にあり、患者さんにとってはとても良い環境であると感じました。
留学中には幸運にも日本大使館を訪問することが許され、とても貴重な体験もできました。

 
先輩医師達と研修                埼玉医大交換留学生の仲間達

  
 ベルリン自由大学前              コーディネーターのマルクス教授とともに

 
日本大使館                     日本大使館内

 

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